著者
石塚 倫子
出版者
人間環境大学
雑誌
人間と環境 : 人間環境学研究所研究報告 : journal of Institute for Human and Environmental Studies = Journal of Institute for Human and Environmental Studies (ISSN:13434780)
巻号頁・発行日
no.1, pp.65-75, 1998-03-31

AD43年、ローマ人のブリタニア征服以来、都市として着実に発展してきたロンドンは、16世紀末には世界に誇るメトロポリスとなっていた。シティと呼ばれる市壁の内部はイギリス経済の中枢として機能し、一方、市壁の外側の隣接区域には、大都市の必要悪とも言える施設(酒場、売春宿、劇場、精神病院、らい病院、処刑場、牢獄など)が寄り集まっていた。特にテムズ川南岸のサザックは「リバティ」と呼ばれ、複雑な権力関係が錯綜していたため逆に無法地帯と化していた。サザックにはシティからはじき出された浮浪者、犯罪人、失業者、得体のしれない外国人等が集まり、歓楽と危険、解放と無秩序が入り乱れた特殊な世界となっていた。しかし、都市ロンドンはこの周縁の地に、穢れたもの、忌まわしいものを引き受けてもらうことで、内部の秩序を保っていたのである。シティとサザック-この二種類の地域は文化における中心と周縁の関係に相当し、互いに緊張関係を保ちながら都市ロンドンを支えていた。特に大衆劇場は周縁に位置し、当時の都市文化を裏側から照射する場でもあった。ここでは、シェイクスピア劇を中心に大衆劇場の周縁性と意義について論じてみた。
著者
白井 克佳 中里 信立 斉藤 実 鍋倉 賢治 松田 光生
出版者
人間環境大学
雑誌
人間と環境 : 人間環境学研究所研究報告 : journal of Institute for Human and Environmental Studies = Journal of Institute for Human and Environmental Studies (ISSN:13434780)
巻号頁・発行日
no.3, pp.69-77, 1999-06-20

本研究は夏期合宿における競技選手のコンディションの変動を調査した。対象は男子陸上長距離選手8名とし、対象の起床時、朝練習時心拍数、主観的体調、尿(量、濃度)、及び走行距離と、練習を行った環境の計測を行った。その結果、起床時、朝練習時心拍数と主観的体調が、合宿が進行するに従い、低下することが観察された。起床時、朝練習時心拍数の低下は合宿によるトレーニング効果によるものか、合宿の環境に慣れたためか、今回の検討では明らかにすることができなかった。主観的体調の低下は先行研究では心拍数の増加とともに観察されたが、今回はそれと異なった結果となった。合宿中に脱水症状を起こし、練習を中止した選手がいたが、この選手の当日の尿量は前日までと比べ、著しく高値であった。このことは尿量の観察がコンディションを把握する上で有用であり、熱中症などの事故を未然に防ぐ手がかりとなる可能性があることを示している。To investigate variations of conditions in the summer training camp, we examined 8 long-distance runners. Heart rate (HR), subjective condition, value of training and urine were analyzed for 14 days. HR decreased day by day, during summer training camp. This result may indicate the effect, the training had on the runners. One day, one subject showed a significantly high value of urine, and he retired training due to dehydration. Urine analyzation may be a useful indicator of physical condition.
著者
日比野 雅彦
出版者
人間環境大学
雑誌
人間と環境 : 人間環境学研究所研究報告 : journal of Institute for Human and Environmental Studies = Journal of Institute for Human and Environmental Studies (ISSN:13434780)
巻号頁・発行日
no.2, pp.51-58, 1998-07-31

モリエールはフランス17世紀を代表する喜劇作家として知られているが、彼の青年時代については2つの喜劇と2つの笑劇、いくつかの公正証書類以外ほとんど資料が残されていない。20代から30代前半の、役者としても作家としでも貴重な時期をどのように過ごしたかを知ることは、後の傑作を知る上でも重要なことといえる。一方、モリエールが創始者ともいわれる「コメディー・バレエ」は、パリ時代に数多く書かれ、晩年の喜劇作品では、台詞そのものが音楽性の高いものといわれている。モリエールの作品を論じる場合、このようにコメディー・バレエという新しいジャンルを抜きにすることはできない。モリエールは巡業時代に、コメディー・バレエとしての作品を残していないが、『相いれないもののバレエ』と呼ばれる作品の上演に関わった。このバレエはモンペリエの貴族たちの余興の一環として作られたもので、今日的意味で重要性に乏しい作品ともいえるが、言葉のない空間を駆使した作品であるがゆえに、役者モリエールにとってもまた喜劇作家モリエールにとっても意味のある作品であったと考えられる。